こんにちは、松井美和(みく)です。
ちねという言葉を知ったのは、この年末でした。
ちね(知音)が、私の音楽と深くかかわっていることを知りました。
ちねとは、古い時代、音そのものと音を聴く者が分かれていない在り方を指す言葉。
才能や技術ではなく、音のこころが音としてそのまま響いている状態。
音を与える者がいて、それを聴く者がいる、ということではなく、
両者は一体であるということ。
私は作曲をしますし、うたもうたいますが、私は音を与える者ではない。
私の作曲した曲や、私のうたを聴く人は、音を受け取る者ではない。
両者は一体である。
私は以前、その感覚についてまさに記事に書いたなと思いました。
音楽を聴き、音楽と一体となることで、停滞したエネルギーが循環するというものです。
私が音楽を聴くのも、作曲するのも、うたをうたうのも、音楽を聴くため・作曲するため・うたをうたうため……にそれらをおこなっているのではなく、私が音とひとつとなり、そして私のうちにある音を外にあらわすためにおこなっているのだ、ということが、何となくつかめてきました。
「才能や技術ではなく、音のこころが音としてそのまま響いている状態」というのも……
テクニックやスキルよりも、音そのものや音の奥にあるこころを感じ、それを外にあらわす、ということのようで。
私にぴったりだなと思いました。
それがまさに、素朴なアートなのだなと!
素朴なアートとは、ちねのことを指すのかもしれません。
素朴なアート ⊃ ちねだと思いますけどね。
いや素朴なアート ∋ ちねかな?
私は9月からずっと、テクニックやスキル磨きを行わないまま、ただ書きたい曲を書き連ねています。
私以外の人が当たり前にしている「上を目指す」ということが、私にはできない。
それは、それが私の人生ではないから。
私は上を目指さない。
私は頑張らない。
私はただありのままの私と、ありのままの音のこころを感じる。
そういえば楽譜を書く頻度が落ちたのも(仕事では書きます)、DTMの方がダイレクトに音が出来上がるからかもしれない。
楽譜に深くかかわる前はDTMをしていたから、元に戻ったのかも。
いや、戻るのではなく進むのですけど!
そういうわけで、私はこれからもちね(知音)を楽しみ、音楽を楽しみ、たくさん作曲してうたをうたっていきます。
まついでした。