もっと自由に作曲をしてもいいじゃない!

DTM

先日、熱海に旅行に行ってきました。

海がとってもきれいで、海を見ながら入れるスパを存分に楽しみました。

そしたら海の曲ができました。

波が寄せては返すさまがずっと続く様子を弾いてみました。
SEなんかも入れてみたりして、楽しかったです。

でも……
サムネに「瞑想BGM」って入れてますけど。

この曲は瞑想のために聴かれるべき曲だ、って固定してしまうことに、なんだか違和感が出てきました。

瞑想用だからループもしています。
私は30分ずっとこの音楽が続くことも心地よかったけど……
でも「瞑想用」って固定してしまっていいんだろうか?

なんなら「瞑想用だから」と作風まで固定化してしまっていないか?

私が書きたい曲は「私が書きたくて書いた曲」であって、瞑想用BGMとは限らないんじゃないか?

というか、そもそも私の曲をどう聴くかはリスナーに任されているんじゃないのか?

――という疑問がわいてきまして。

現状は「瞑想BGM」「インスト」「歌」の3つにカテゴリ分けしようとしていましたが、そのくくりを外して、「私の曲」という1種類にしようかと感じました。

今までUPした曲はそのままにするつもりです。

考えてみれば……


「ワルツ」「シンフォニー」「ソナタ」などのカテゴリや、「導音は必ず上行する」みたいな規則性も、後世の人が振り返って作品を分析してわかってきたことであって、作曲家が最初からこうだと決めて作ったわけではないはず。
ジャズからジャズフュージョンが生まれた時も、プレイヤーたちは「ジャズフュージョンを作ろう」と思って演奏していたわけではないはず。

全て、後から振り返って「こういうことだったんだね」とわかることで……。

私の曲も、最初から「瞑想用」って決めなくてもいいのかもしれないと思いました。

それに、ちねを楽しむ曲=瞑想用の曲、でもないし。
ちねはどんな曲でも楽しめるから。

Cantomro

ちねとは、古い時代、音そのものと音を聴く者が分かれていない在り方を指す言葉。 才能や技術ではなく、音のこころが音として…

そりゃあね。
YouTubeではそこらへんがはっきりしていたほうが聴かれるし売れるでしょう。
でも私は、そう決めてしまって自分の書きたいものをその枠に当てはめて作った曲よりも、神様的な存在から降ろしてもらった曲の方が美しいと(頭では)知っています。

私の曲が何に当てはまるかはのちのち誰かが教えてくれるでしょう笑

しかしじゃあサムネはどうしたらいいんだろうねw
まあそれも降りてくるでしょうよ。

書きたいときに書くのが一番。
思いも曲も自然と湧き上がる。

そういう意味では、瞑想用と固定してしまったとはいえ、今回の海の曲はとても自然にできました。
素朴でいい曲だし作ってて楽しかった。

というわけで。
もっと自由に作曲しよう! というお話でした。