Johann LavandierによるPixabayからの画像

【解説】最善

この詩↓について

今年の6月頃から苦しい時期が続いた。
これは私自身のその苦しみを昇華するために吐き出した言葉である。

オカルトな話をすると敬遠されるかもしれないが、「背中に黒いねばねばしたスライム」というのは、見える方に見てもらったら本当に私の背中に存在したらしい。どうも6月上旬にあることをきっかけに黒い影が背中に出てきていたそうな。

結局その影はお祓いというか、浄化というか解放して頂いたのだけれど、選択肢が「我慢」しかない私らしく、その影(作中ではスライム)をも含めて自分の最善であると思うようにしていた。

うまくいかず、苦しかった。
苦しいなら苦しいって言って良い。
けど、それを言わずに受け入れようとしていた自分もまた良い。
それら全てが最善なのだ。

「Des-durは最もエネルギーの低い調」
これは、確かツイッター(現X)で呟いたのだが、ある指揮者氏がそうおっしゃっていた。
最も死に近いエネルギーだったか。

これは、林光のオペラ〈森は生きている〉の第二幕冒頭のことを述べている。
(こんにゃく座の動画でこの部分アップされてないかなーと思ったらなさそうなので、どうかご自身でYoutube等検索されたい)

主人公の1人「むすめ」が、春にしか咲かない「マツユキソウ」を取ってこいと家から追い出されて、暗い冬の森を彷徨うシーンだ。

あの時期は確かにそういう絶望感みたいなものがあった。
それでやみくもにどうにかしようと動き回ったりしたっけ。

「優れた調も劣った調も存在しない。
それがその人のその時に最善だから選択される。」
ここがサビなんですが、つまり、調もまた色と似ていて、その人の人生を彩っているということなのだと思う。
その人の人生のその時その瞬間を色で表現するなら「コレ」であり、
その人の人生のその時の色を調で表現するならDes-durがぴったりだ、ということ。
そして「コレが最善」であるということ。

だって、今はそのシーンなんだもの。

その後、黒い影を浄化してもらうシーンを経て、今はとても穏やかに落ち着いたシーンを迎えている。
転機も。
この記事を読んでいるあなたの今は、どんなシーンで、どんな色で、どんな調なのだろうか?

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